2009年11月7日土曜日

3年生全員出走!

 いよいよ兵庫高校駅伝前日。オーダーを発表した。男子は自分も主将も早くからその想定で進めてきたので,あっさりと決まった。しかし,女子はそう簡単にはいかなかった。女子の主将は3年生であるが,今季の駅伝には出場していない。男女を通じて3年生で唯一出場していない選手である。それでもチームをまとめるために尽力してきていた。3年生の女子の間ではみんなでタスキをつなぎたいという思いが強かった。
 しかし,自分は3年生だから使うというようなことはしたことがない。強い者が選手に選ばれて出場してきた。3年生と下級生がメンバー微妙なメンバー争いをしたときは下級生を使ってきた。勝負事に情けは無用。伝統を継続するためには「今年限り」のチームであってはならないのである。
 ただ,選手が伸びていくように指導している本チームの指導方針からすれば,3年生が3年間かけて成長し,メンバーに入ることが望ましい。
 ここ数日の練習で3年生の主将は,最後の思いを思い切りぶつけてきた。タイムトライアルでは自己記録を連発。誰かが調子を崩してメンバーに入るのではなく,ちゃんと自分自身が調子を上げてきたのである。
 これで3年生は全員がメンバーに入った。3年間の集大成,力の限り走ってもらいたい。

2009年11月6日金曜日

周囲の支え

 英語科の教師に「先生,今週末は駅伝ですよね?」と訊かれた。「そうですけど…。」と答えると,どうやら本チームの選手が補習を受けなければならないらしい。この表現でおわかりのように,あまり芳しくない補習である。英語の成績がよろしくないようなのだが,「今回の補習は免除しましょうか?」と言われた。「いやいや,それは自分の立場からお願いはできないですね。」と答えると「公式戦の前日はこれまでも免除してきているので。」と言われるのである。「そうしていただけるとありがたいです。」と答えた。
 学習意欲を持つ者が受講する補習ならまだともかく,苦手とする生徒の補習を授業後にするのも大変であるにもかかわらず,こうして部活動に配慮をしていただけることがありがたい。
 新聞にも結構大きく高校駅伝を取り上げていただき,職員もけっこう目にしてくれている。部員にもよく声をかけてくれているそうである。
 周囲の支えあっての駅伝だと思う。それに感謝の心を持って明日,篠山に入ろうと思う。

2009年11月5日木曜日

本気で取り組めるもの

 授業でプレゼンテーションの指導をしているが,発表の手法や技術などまでにはいたらず,もっぱら発表の構成,企画に時間をかけている。自分のところに企画書を見せに来て,合格できればコンピュータを使ってプレゼンテーションの準備に入る。全体としての課題は自分に関連している事象をテーマとし,自分の経験や考え,主張を含めて,紹介するというものである。いわばフリーテーマなのだが,これがけっこう難しいようである。
 その中で,中学時代の部活動をテーマにする者が多い。もちろん今の部活動をテーマにする者もいるのだが,圧倒的に人数が違う。それは,おそらく彼らの中でいったん完結したものだからだと思う。
 しかし,同じ中学時代をテーマにした者でも,その企画に表れるものは明らかに差がある。テーマに困って行き着いた先が部活動だったというような者は,内容についてこちらから質問してもあいまいな返答しかできず,結局何度もやり直しになる。一生懸命に活動してきて,その活動について構成されているものとは訴えてくるものが違うので,多少,やり直しがあったとしても,すぐに合格が出せる。この生徒は本気でこの活動に取り組んできたんだなという熱意が伝わってくるのである。
 物事に本気で取り組むということは人生の中で大きなことだと思う。高校生というもっとも精神的に成長する時期に,本気で取り組めるものを持ってほしいものである。

2009年11月4日水曜日

いい緊張感

 久しぶりに自分が高校3年生のときの兵庫高校駅伝のときのことをミーティングで部員に話した。
 自分が高校3年生のときは,顧問の先生の都合で,地区予選と県大会の間に試走に行くことができず,前々日より篠山に入り,試走をおこなった。その頃はまだ今のコースになっておらず,自分は3区を走る予定だったのだが,小野新の交差点で車を降り,そこから中継所に向かってウォーミングアップを始めた。もうそのときから「篠山に戻ってきたんだ。」という緊張感がサーっと体中に走った。と言うのも前年は,同じ区間を走ったのだが,大ブレーキを起こしてしまい,自分の競技者人生史上もっとも悔しかったレースを経験していたのである。そのリベンジの機会が与えられ,その地に降り立った瞬間の緊張感であった。その緊張は自分にとっては爽快なものだった。
 翌日,開会式ではそうでもなかったのだが,宿舎に入り,部屋で円座になって先生からのミーティングを聞いていると,手に汗がにじんでくるのがわかった。気づくと着替えが必要なほどに汗をかいていた。 その緊張感に自分の心の充実を感じた。走れる感触を持った。翌日,前年のリベンジを果たすことができた。
 思いは必ず通じる。それこそ心の充実だと思う。選手たちの思いには強さを感じる。あとは充実を自覚してもらいたい。

2009年11月3日火曜日

周囲の協力

 兵庫高校駅伝の試走に行ったときのこと。自分ともう一人の顧問で向かったのだが,コースはスタート地点から20km先で折り返すコースなので,配置・収容がけっこう大変で,1人ではなかなかまわらないのでお願いしたのである。今回はマイクロバスの運転手にも配置・収容をお願いした。
 もう一人の顧問として手伝ってもらったのは短距離の監督である。この日はもちろん短距離の練習もある中で,さらにもう一人の顧問に練習を託して同行してもらった。例年手伝ってもらっているのだが,今年は自分の段取りも悪く,一応前日に試走の打ち合わせをしたものの,自分の中でも完璧なものではなかった。計画を立てる者が完璧に理解できていないものを他の者が理解できるわけがない。
 駅伝の試走における問題はとにかく,選手の配置・収容なのである。当日,現地に向かいながら抜かっていたことが頭に浮かんでくる。それを計算して,ようやくまとまったのは現地にまもなく着こうかという頃であった。急遽,同行してもらっている顧問の先生に頼んで動いてもらった。
 自分は長距離選手を指導しているわけだし,駅伝コースも熟知している。しかし,自分がわかっていても,他の人には理解できないこともあり,それに気づいていないことがある。「それぐらいわかるだろう。」と思っていることも,わかってもらえていないことも多いのである。ところが,今回はもう一人の顧問の先生に助けられた。明らかに自分の説明不足や,急な変更が多かったのだが,簡単な連絡だけですべて問題なくこなしてくれた。最後は選手たちを任せて他の場所に行っていたのだが,それも完全に安心しきっていた。
 今年ほど忙しいと感じた年はない。しかし,何とか物事は順調に動いている。これも周りの方々の協力あってのことだと思う。この日の試走は同行してもらった顧問の先生の存在が本当にありがたいと思った。

2009年11月2日月曜日

卒業生の保護者

 兵庫高校駅伝まで1週間を切り,ここに来て急に冷えこんできた。今日は風も強く,練習を見ている方はたまらなく寒かった。インフルエンザはもちろん気になるが,普通の風邪にも気を遣わなくてはならない。
 そんな折,卒業生の保護者の方から連絡があった。本校に来てくれるのだと言う。練習中の本当に寒い中であったが,わざわざ来てくださり,兵庫高校駅伝に向けての差し入れを持って来てくれたのである。風邪が心配になってきたこの冷え込んだときに,実にタイムリーにみかんを一箱いただいた。
 卒業生といってももう卒業して4年目になる。ミーティングで何度か名前を出したことはあるが,部員のほとんどはもうその卒業生を知らない。卒業すると卒業生本人が疎遠になることが多いというのに,卒業生本人はもちろんのこと,保護者の方がいまだにこうして応援してくださるのは本当に嬉しいものである。
 近隣ではインフルエンザが猛威をふるい,学級閉鎖,学年閉鎖が相次いでいる。幸いにして,本校は今ちらほらと感染者はいるものの,閉鎖には至っていない。このまま何事もなく当日を迎え,こうした応援に応えられるように全力を尽くしたい。

2009年11月1日日曜日

いつもどおり

 兵庫高校駅伝コースを試走。男女で試走の手順が違っており,女子は2班に分かれてそれぞれのコースを試走した後,再集合する予定でいた。
 全員ではないのだが,ほとんどの部員がバスである1か所に送り,そこからウォーミングアップアップをして,もしくはしながら,試走するコースへと向かう。ところが,男子のスタートが早い。とくにウォーミンググアップの指示は細かく出してはいないのだが,いつでもどこでもできるだけいつもどおりするのが本チームのセオリー。どうやらかなり省略したようである。
 女子は再集合させるので,その時間に差が出ると,早くに集まった者が冷えてしまう。できるだけ差がないようにしたい。もう1人の顧問の先生には「16時10分から20分ぐらいに到着すると思うからそのときに車で行ってくれますか。」と頼んでいた。自分はもう一方の班の終了場所に行って車に乗せる。その予想時刻は16時10分から15分。16時過ぎに現地に着くと,まもなく選手がやってきた。車に乗せて発車できたのが16時13分。もう1人の先生から,もう一方の終了場所から出発したという連絡が入ったのが16時16分。ほぼ同時に再集合場所に着いた。
 指示をしていなくても,こうした計算通りの結果になるということは,きっちりいつもどおりできたということである。予想通りだったとはいえ,神がかり的なものを感じて快感であった。